着物の着方。左前?右前?どっちが前?死装束との関係


着物の着方は左前?右前?どっちが前だっけ?

着物は、生きていると左が上になるように着ますが、死ぬと右が上になるように着ます。
袱紗(ふくさ)も熨斗袋(のしぶくろ)も同じ。結婚式では右開きに包み、お葬式では左開きに包みます。

「ん????逆じゃない??」・・・と思ったそこのあなた。
左と右の、ちょっと複雑で不思議な世界へようこそ(笑)

この関係を紐解いていくと、昔の日本人の豊かな世界観が見えてきます。
紅白饅頭も、水引も、襖(ふすま)も、神社の狛犬さんも、みんな実は同じ関係なんです。

 

左と右は、どっちが偉い??

「左前」とか「左遷」とか、左を使った言葉には、悪いイメージがありますよね。
でも実は、右より左の方が偉いんです!!えっ・・・・・・なんで??

なぜこんな複雑なことになっているのかというと、それは左と右の関係が時代や国によって様々だから。
ヨーロッパでは、基本的に右が上。上座も右側です。
しかし、中国では周時代は左が上でした。しかし、戦国・秦・漢時代は右が上で、唐時代は左です。

日本は唐の影響が強く、その時代に伝わった陰陽思想が根付いたため基本的には左上位です。
なので、右大臣より左大臣の方が格上。天皇皇后両陛下もお雛様も、明治以前は左が上座でした。
「左遷」は右上位時代にできた言葉なのです。

紅白饅頭も、狛犬も、死装束も、着物の着方も、すべてルールは同じ!

紅白饅頭も水引も、右が赤。結婚式の袱紗は右開き。ふすまも右が前。
狛犬さんは右に「あ」が座ってる。・・・・これって、ぜーんぶ、同じ理由!!

前述したように日本は唐の影響が強く、聖徳太子の時代には陰陽思想が政治に利用されていました。
例えば飛鳥時代には陰陽寮という官僚組織で暦が作成されていたり、701年の大宝律令では、陰陽師を国家で独占管理すると定めています。それほど、陰陽思想は当時の政治に多大な影響を及ぼしていたのです。

陰陽思想では、前後・男女・上下・左右・紅白・阿吽(あうん)など、対になったものは、すべて2つに分けられます。前・男・上・左・紅・阿は「陽」のグループ、後・女・下・右・白・吽は「陰」のグループです。

ですので例えば、桓武天皇が平安京の御所に植える木を決めたときは、こんな風に決めました。
『花と左は同じ「陽」のグループで、実と右は「陰」のグループだから、左近に桜で右近に橘(みかん)。』
・・・・おぉ!!なんとシンプル!!!

これと同じように、紅白饅頭も、水引も、袱紗も、狛犬も、ふすまも、陰陽思想で決められているのです。

左京区が東。右京区が西。

さて、陰陽思想の考え方を見てきましたが、あれ?っと思った方もいるかもしれません。
阿(あ)と左は同じ「陽」グループなのに、狛犬さんの「あ」は右だって言わなかった??

これ実は、左京区が東で右京区が西にあるのと同じ理由です。
つまり、陰陽思想で言う「左右」とは、向かって見た左右ではなく、当人から見た向きです。
狛犬さんになったつもりで、袱紗に包まれるお金になったつもりで左右を考えます。

ですので正しくは、紅白饅頭も水引も左(向かって右)が赤。結婚式の袱紗は左(向かって右)開き。ふすまも左(向かって右)が前。狛犬さんは左(向かって右)に「あ」が座ってる。・・・ということになります。
向かって見た左と当人から見た左がごっちゃになっている。これが、全ての混乱の元なのかもしれません。

左右と生死。

ここで、やはり外せない話題が、死装束の話。
死装束が逆の合わせ方なのは有名ですが、実は昔はそれだけじゃなかったんです!

陰陽思想では左が陽で上なので、袱紗も書簡も熨斗袋も風呂敷も、通常は左(向かって右)を上にしました。
ですので、それが逆になっているというのは、特別な意味があったのです。

例えば江戸時代、陰である右(向かって左)を上に合わせた書簡というのは果たし状でした。
袱紗の包み方もお葬式では逆ですが、昔は袱紗や死装束だけではなく、ふすまの左右も、屏風の上下も、畳の並び方も逆にしていました。喪に服するときに右(向かって左)を上にして着物を着ることもありました。
今では「逆さごと」という風習として言い伝えられていますが、もともとは陰陽思想が始まりなのです。

左前と右前。

こうして、「逆さは不吉」という概念が浸透していき、そこで生まれた言葉が「左前」です。
いつもは封筒も袱紗もふすまも、向かって右が前なのに、逆になってる!という状態が「左前」。

そう考えると「右前」って言葉、ちょっとおかしくありませんか??
ここに気づいたあなたは鋭い!!そう、「右前」って言葉、実は間違った日本語なのです。

「左前」という言葉は、封筒や袱紗やふすまを、こちらから向かって見て言った言葉です。
死装束も、自分では着ませんので、向かって見て「左前」なのです。
それなのに(つまり「左前」は向かって見て言った言葉なのに)、その逆の「右前」と言う言葉を自分で着物を着るときに使う、というのがそもそも間違いなのです。

もともと、昔は「右衽」または「右襟」という言葉があり、自分で着物を着るときには「右衽に着る」というように使っていました。これならわかりやすいですよね。『右に衽があるから右衽。』・・・・とってもシンプルです。
※衽とは、着物の衿の下にある細長いパーツのこと。「おくみ」と読む。

例えば、昔の書物の記述はこんな感じです。
●719年「養老令」着物の合わせ方が統一されたときの続日本記の記述 → 「初令天下百姓右襟
●1678年「基量卿記」霊元天皇の喪服の衿合わせが逆だったという記述 →「地貲布、濃鼠色、左衽
●1873年「皇朝原始訓蒙」という書物の記述 → 「右衽
●1901年「栗里先生雑著」水戸藩の国学者・東京帝国大学教授、栗田寛の記述 → 「左衽右衽の説」

このように、昔の書物で「右襟」「左襟」「右衽」「左衽」という言葉がたくさんみつけられるのに対して、「右前」という言葉は見つけることができません。
日本最初の現代国語辞典である、1875年の「言海」にも、「右前」という言葉は掲載されていないのです。

まとめ

「左前」と言う言葉は、左が悪いわけでもなければ、着物を着るときに使う言葉でもない。
だから、「着物を右前に着る」という使い方は誤用。正しくは「右衽に着る」が正解。

「衽」という漢字が常用漢字ですらなくなってしまった現代で、「右衽」と言う言葉がなくなってしまって、代わりに「右前」と言う言葉が誤って使われているという現象。時代背景としては理解できることですが、なんだか残念なことでもあります。

『花と左は同じ「陽」のグループで、実と右は「陰」のグループだから、左近に桜で右近に橘(みかん)。』
昔の日本人が、こんな風に物事をとらえていたなんて、とても面白いじゃありませんか!!
着物の合わせ方も、ルールではなくて「哲学」なわけです。それは、決まり事なのではなくて、昔の日本人の生き方を垣間見るということ。とても豊かな時間なのです。

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